『顧客』は『会社』ではない、『人』である
週末に、このメモ
346の随想録にある講演された方と同席する機会がありました。年に1,2度という貴重な機会です。
先月ポストした投稿で、「営業するな」という話を書いておきながら、今回は営業の話です(弊社が営業しないということではありませんので、皆様よろしくお願いします!。以下は、法人向け営業の話です)。
起業すると、いままで営業していなかったという言い訳ではできず、やはり営業活動はしないといけないですね。で、サラリーマン時代は営業組織に紐付いたところにいたことは
ありましたが、営業になったことはありません。なので、営業ということは、得意というわけではないです。
営業のプロフェッショナルの話を聞く機会は、とても勉強になります。
で、このメモの内容について、もう少し詳しく聞く機会がありましたが、講演されたものをシェアする方がよかろうと。
なぜ営業が必要か?
売る側に理想の状態とは?
- 良品は言葉なくして客を呼ぶ。
- お客の欲しいものを売る。
実態は?
そんな状態を実現できる会社は存在せず、ギャップを埋めるために営業は必要悪として存在する。またプロアクティブに、売り手が売りたいものを売る、潜在需要を喚起する、そのためには売り手が惚れる、必要がある。
現実的に、理想に近い状態な企業があったりします(長期ではなく短期的がほとんど)。または、お客はほしくはないけれど、仕方がないから買わざるを得ない場合もあったりするかもしれません。
そのような企業は、得てして、営業力があるとか、マーケティングが強いとかいうことで評価されたりすることもありますが、経験的には、このような企業で働いている営業やマーケティングは、それを意識していなくて、『自分の実力』で売れていると信じている人が結構な割合でいます(結構痛いです)。
ただ、そんな企業はほとんどないので、どうするかということですね。そこに営業の必要性があるということと。学生が就職するとき、「営業はやりたくない、マーケティングや宣伝部に」なんていうのは、よく聞く話ですが、営業こそが、お客様とのギャップを最終的に埋めることができます。そこに価値を感じることができるかどうかでしょうね。
さらに続けて、
「顧客」は「会社」ではない、そこに存在する「人」そのもの
商談について議論をする際に、「人」の名前の出てこない場合、その商談は営業活動がされているとは言えない
- 「誰が」まで落とさないと営業活動はできない。
- 世代が替わると意思決定は変わる
結局、「人間としての顧客」という人格を持った相手に対峙するために、営業マン(ウーマン)が存在する。
- 人間は感情の動物だから、理屈だけの説得は十分条件ではない。
お客様は「会社」ではない というのは、その通りだなぁ、最近、とみに実感しております。
世代が変わる、あるいは、転職などで人が変わると急に意思決定プロセスも変わることをよく見ています。これは、テクノロジーの変化以上に、営業プロセスに影響を与えているだろうと。
これは、誰でもわかるような例でいえば、白川日銀から、黒田日銀になったときに、意思決定が変わってしまったことで見ることができます。ネット関係だと、おそらくですが、ヤフー!が、爆速世代になってから、意思決定プロセスが変わったのではと思います。これらは、ビッグデータを分析して判断するものでなく、人によって変わるんだということだろうと。