ビッグデータを超えて (Beyond Big Data and ...)
今、IT業界では、「ビッグデータ(Big Data)」というのが、「クラウド」と並んで、流行している言葉です。「今年」に限っては、ビッグデータの方がもっとも話題の言葉といえるでしょう。
「ビッグデータとは、いままで扱っていたデータと比較して、非常に巨大なデータという意味」
って、説明がよくされます。でも、
「巨大なデータ」だから、「ビッグデータ」。そのままやん
なんとも、身もふたもない言葉です。
そして、今までのデータを、「スモールデータ」と呼んでいるのかどうかは知りません。呼んでいたりして
話題になっている理由は、この巨大なデータ(ビッグデータ)を分析することで、今までわからなかったような現象やパターンを見つけて、ビジネスや社会活動にいかしていけるのではと考えられています。(昔から、この手のデータを保存して、分析するという話は未来感がとてもあって、好きなんですよね−)。
なかなかわかりにくいのですが、非常にたくさんのデータを分析することで、いままで見えなかったパターンを見いだそうとしたり、または、今まで全数解析できないので、サンプル解析だったものを、全数解析してしまうことなどが考えられます(と書きながらも、うまい事例を紹介できない。検索するといろんな事例があります)。例えば、今政府が実施しているようなサンプル調査や推計を使うGDP統計や物価指数などのデータも、リアルタイムに近いスピードで、統計を入手・分析できるかもしれません。
従来データを解析するということでは、いろいろな手法がとられてきました。また、全数調査と分析が実施されてこなかったわけではありません。統計解析の例では、世論調査や視聴率調査があります。また、今でも企業では、ビッグデータでなくても、それなりの売り上げデータなどを持っているので、それらをリアルタイムでなくてよければ、分析が可能ですし、実際に実施してます。
ここで、考えたいことがあります。
データの解析が正確に行われたしても、結果的に「人は、論理的な決定を実施できない割合がかなり高い」と思っているです。それは、重要であれば、重要であると思われることがらについては。
例えば、最近話題の朝霞の公務員宿舎の問題を取り上げて、考えましょう。政府・財務省は、震災復興には、「増税」が必要だということで推進しています。そして、その裏側で、事業仕分けで凍結扱いだった「朝霞の公務員宿舎」の建設を実施する方向でした。
論理的に考えれば、次のように考える人も多かったと思います。
- 宿舎の新設をするための税金を復興費用に回せないのか?
税務省の説明では、集約することで、無駄削減で、10ー20億くらい浮くので、それを震災復興にという説明をしていたようです。しかし、本当にそうだったのでしょうか? という分析を実施したとします。おそらく、以下の方が、復興費用を獲得して、コストも同時に減らすことができると計算できると思います(計算してないけど、おそらくそうなると思う)。
- その国有地を売却する。
- 売却益を復興費用にあてる。
- 公務員の宿舎としては、民間の賃貸住宅に住んでもらって、住宅補助を出す。
この手の既得権益に関する領域では、「数字の分析上、改革した方がよい」ことが、多く見られます。しかし、事業仕分けで凍結と決定されたとしても、解除になるわけです。最終的な決定は、思わぬ方向に流れます。
これは、官僚に限ったことはなく、企業の投資行動においても、よく見られることです。市場調査をいくら実施しても、「成功が見えない」場合でも、「続行」が決定されるのはよくあります。
日本の企業での決定は、KKDだともいわれるように(KKD=経験、勘、度胸ですね)、数字に基づいた決定がなされる文化が弱いは、論理的な決定が実施されることは、さらに希薄になります。ぼくが長年働いた論理的に決定するとされる外資系企業でも大小ありますが、同じような行動をとる場合があります。例えば、次のようなことです。
- M&Aは、ほとんどうまくいっていないという分析結果は多数ありますが、M&Aは止まらない。
- 米国大企業で、社外からCEOをスカウトして、配置しても、大抵は成功しない
ぼくは、今まで、仕事で事業分析をたくさん実施してきました。それを使って、そのまま、その分析結果を使って、社内調整や社外との協業を図ろうとする場合がすべて成功するということでないことを経験しています。そのために、それだけに頼らず、人や組織行動を考えてから、対応していました。そういうことで、
「ビッグデータを超えた」先には、人の決定行動に対するエモーショナルななにかがある
のかもしれません。
選択と決定の科学です。